「たとへば、こんな怪談ばなし 2 =井戸神様= 前編」  昭和4*年夏…  「おばあちゃん、遊びに来たよーー!」  門を入るなり、庄兵は玄関に向かって走りながら叫んだ。  その声を聞いて庄兵の祖母静は、庭先で花壇の手入れの手をやめて走ってくる孫を手招 きしながら、  「おうおう、庄兵良く来たな!!そろそろ来るだろうと思って、西瓜を冷やしておいた ぞ!」 と、皺くちゃの顔を一層皺くちゃにしながら、孫を呼んだ。  「わーい!」  庄兵は、玄関に向かう足どりを軌道修正して、祖母の元に走った…  「おばあちゃん、こんにちは」  庄兵は祖母に抱きつきながら、言った。  「よしよし、良く来た良く来た」  静は、孫の頭を優しくポンポン叩きながら、愛しい孫の来訪を歓迎していた。  「おばあちゃん、西瓜西瓜!」  「はいはい…」  甘える孫に急かされて、静は孫の手を引いて井戸のある場所に行った。  井戸は、釣瓶組み上げ式の井戸で、その側には小さな祠があった。  静は、その小さな祠の前で手を合わせた。孫の庄兵も、なぜ静が手を合わせるかは知ら ないが、何時も静がそうしているので、庄兵も小さな手を合わせた…  「よしよし、庄兵はいい子だねぇ」  手を合わせている庄兵を見て、静は微笑んだ。  そして、静が釣瓶を井戸の底に下ろし、引き上げると、桶の中には良く冷えた西瓜が入 っていた。  その場で西瓜を切り、井戸端にある縁側に座って、一家水入らずで西瓜を食べている時、 庄兵は静に質問した。  「ねえねえ、おばあちゃん、なぜ井戸を使うとき、手を合わせるの?」  「それはねぇ…あの井戸には、”井戸神様”がいるんじゃよ」 と、静は笑って答えた。  「いどがみさまぁ?」  「そう…井戸神様は井戸を守ってるありがたい神様なんじゃ!だから、儂らは『井戸を 使わせていただきます』と断ってから井戸を使うのじゃよ」  「ふーん」  「だから、庄兵。井戸を粗末に扱ったらいかんのだぞ!!」  「はーい」  「よしよし、庄兵はいい子じゃ!!」 と言って、静は庄兵の頭をなぜた。  それから、十数年…祖母静は亡くなり、祖父も祖母の死後七年後、後をおった…  祖父の一周忌の法要も終わり、落ちついたところで突然、秋山本家から急に呼出があっ た。  現在の秋山本家は、庄兵の祖母の居た家の近所にある。その家の規模は、さすがに不動 産業を営んできただけあって、お屋敷と呼べるほどの大きさがあった。  本来は、庄兵の祖母静が正当な秋山本家の継承者であったが、静の父の代に男子に恵ま れなかったとして、また静の父親が病弱であり、早死にしたせいもあり、秋山本家継承は、 静香の父の代で静香の父のすぐ下の弟の家に取られてしまった。  しかも、秋山家の家と先祖代々の位牌,墓を除いて財産のほとんどもだまし取られてし まった。また、現在の当主は、地元暴力団とのつながりがあるという噂があった。  そう言う経過があるので、庄兵の家は、秋山本家とは殆ど断交状態にあった。  その秋山本家から珍しく呼出があったのである、庄兵の父親は  「嫌な予感がする…」 と言っていたが、その言葉通りになろうとは、庄兵は思いもよらなかった…  秋山本家に着くと、すぐ広間に通された。そこには秋山一族の代表者が既に集まってい た。しばらくして、現秋山本家当主である秋山慎太郎と秋山家の顧問弁護士の小山が現れ た。  現在の当主慎太郎は静の家から本家継承権を奪った静の父の弟の代から数えて3代の時 代になっていた。  「えーー、一族の皆様方もお集まりなったようですので、そろそろ始めたいと思います」  慎太郎は、にこにこしながら丁重に頭を下げると言葉を続けた。  「えー、本日はお忙しいところまた、遠路遥々わが家においで下さいまして、誠にご苦 労さまです。本日急に一族の皆様にお集まり願ったのは、私、秋山総本家当主、秋山慎太 郎から一族の皆様にお聞かせしたい事があるからです…」  慎太郎は、得意絶頂に話していた。  ここで、横あいから、  「おい!何時、お前の家が”秋山総本家”になったんだ!!慎太郎!!!」  としわがれた一声上がった。一族のみんなが一斉に声の主に注目した。そこには、年寄 りが一人居た。  「これはこれは、勝之助の大叔父!なにか…?」  慎太郎は、一瞬不機嫌そうな顔色をしたが、すぐさま何もなかったよう冷たい顔をして その老人に言った。その老人は何をかくそう、この秋山本家の最古老であり、静香の父の 一番下の弟に当たる人であった。しかし、歳は静より数歳年下であった。  「だから、なぜお前が”秋山総本家”になったんだと言っている!!」  「変ですか?大叔父」 と、慎太郎はとぼけた顔で言った…  「おう!”秋山総本家”は、あそこの角に座っている”星野家”ではないか!!」  老人は広間の角に小さくなって座っている、庄兵達を指さし、精一杯の大声で言った。  「それは、おかしいですよ、大叔父…星野家はとっくに秋山総本家の継承を放棄したの です」  慎太郎は、薄笑いを浮かべながら言った。  「しかし、星野家は我々先祖の霊を守って下さっている!…グッ!ゴホゴホ…」  老人はせき込んで、その場にふせってしまった。  そして、老人の家族に抱きかかえられながら退場して行った…  いままで、しんと静まり返っていた広間は、にわかにざわざわと囁き声が聞こえだした …無理もない。ここに集まっている秋山一族の大部分の人々は、”秋山総本家”の継承は、 一族合意の上で行われていると思っていたのである…それほど、慎太郎の父親による秋山 家家督乗っ取りは巧妙であり、且つまた、ここに集まっている人々がその当時の人々の子 供の代または、孫の世代になっていたのである。  しばらくして、  「えー、皆様アクシデントがありましたが、お静かに願います」  慎太郎は、広間の人々にそう注意をすると、空咳をして話を続けた。  「本日、一族の皆様方に集まっていただいたのは、他でもありません。一丁目の元秋山 本家の跡地にについてであります。ここには、先年までそこにいらっしゃる星野さんのご 隠居さんが住んでおられましたが、昨年お亡くなりになられ、その一周忌も先日無事終え られ、喪が開けましたので、ご隠居さんの生前の遺言状により、この土地を我が”秋山総 本家”が相続する事になりした事をご報告するためです」  と、慎太郎は一気にまくしたてると、さも嬉しそうな顔をした。そして、隣にいた弁護 士の小山がすかさず、鞄から遺言状と言われている古びた封筒を一族のみんなに見えるよ うに掲げた。  その途端、広間いたその他の秋山一族は全員感嘆の息をもらした。その一方で、驚いた のは庄兵と庄兵の父親の星野家の人間である。遺言状など聞いた事もなく、まさに寝耳に 水の如しである。  庄兵の祖父は、庭先で植木を手入れしている最中に突然脳溢血で急死したのである。庄 兵の父は、生前祖父から自分の死後の後事を言い聞かされていたが、遺言状の事など一言 も聞いていなかったのである。ましてや、横浜市にはあの土地の莫大な相続税を星野側の 親戚中から借金してまで納めているのである。  「慎太郎さん、ちょっとその遺言状を見せて頂きたい」  庄兵の父親は一言言った。  「なにか…ご不満でも?」  慎太郎は薄笑いを浮かべながら、言った。  「私は、生前父親から自分の死後の事を色々聞いていたが、遺言状が存在するなどと言 う事は一言も聞いていない!」  庄兵の父親は、多少感情的になるのを押さえながら言った。  「そうでしょうな。いくら息子でも、自分の遺言状がある事を話したりしないでしょう。 それに、ご隠居さんは脳溢血で急死だったと聞きますから、死に際に遺言状の事を伝えら れなかったのでしょう…星野さんが不思議に思うのもごもっともです。よろしいでしょう、 あとで見せてあげますよ!」  慎太郎はにやにやしながら言った。  そのとき…庄兵の耳元で若い女性の声が聞こえた。  「おかしいわね」  庄兵は驚いて回りを見回したが、広間のどこにも女性がいなかった。しかし、  「たしかにおかしいわ!あの家は庄兵さんの物になる筈なのに…」 と、再び声がした。庄兵はもう一度回りを見回したが女性は一人も居なかった…  やがて、他の秋山一族の人々が帰った後で、残った庄兵と庄兵の父親は、慎太郎から庄 兵の祖父の遺言状を見せてもらう事にした。客間で見せるとの伝言で二人は客間に向かっ たが、庄兵は客間から追い出されてしまった。  …30分程して、庄兵の父親は疲れたような顔をして部屋から出てきた。  「親父、どうだった?」  庄兵の声に父親は声を震わせながら、  「どうやら、あの遺言状は本物らしい…」  「しかし親父、俺達はあの土地の相続税を納めているんだろ?だったら、家のものじゃ ないか」  「納めた税金は、払ってくれるとよ!しかも、今の地価相場の値段で…」  庄兵は愕然とした…なぜなら、去年までは空前の空経済のあおりであの土地の地価は急 上昇し、加えて近所に地下鉄駅が出来ると言う噂が流れてあの付近の土地の地価は天井知 らずの勢いだったのだ…それが、やっと借金してあの土地の相続税を納めたとたん、空経 済と解るや、掌を返したように地価が下落した。  今の相場の金額では、親戚に借金を返済するのでやっとの金額でしかないことは、政治 経済をよくしらない若い庄兵でも簡単に計算できる事であった。 =つづく= 藤次郎正秀